あとりえたくみ―木馬を作る。

~土屋拓三の歩んだ歴史の結果、生まれました。~

木馬を作る訳をお話します

樹齢百年のケヤキの木に、生漆(きうるし)を磨き塗って。
幼子が百年も楽しめる木馬を作っています。
やさしく揺れると誰もが、楽しく笑顔になります。
お母さんに抱っこされて。 揺りかご。 ブランコ。やさしくゆれると、幸せになれます。

僕は国民学校三年生。中国の奥地から引き揚げ、天津の収容所で生活。
末の妹は生後六ケ月。母乳に頼っていましたが、母親も僕たちも栄養失調だった。
兄妹五人の子供を抱えた母親は子供を守るために、自分は食物を口にできなかった。

母乳に頼っている「妹」はオッパイにすがっても、母乳はまったく出なかった。
引き揚げ船の中で死んだら、必ず水葬にされる。
柳行李にいれた子供の死体が船尾から落とされる。汽笛が「ぼっ~」と鳴って波に揺らいでから沈んでいく。僕たちは妹が死なないように祈った。
生きてはいたが、もう動かない妹を連れて日本に上陸した。

初雪が降る、十二月七日妹は死んだ。母親が抱いている妹が冷たくなっていくとき、僕たちを集めて、「お別れよ」といって赤ん坊の顔を覗かせた。

「みかん箱」にちょうど入る妹だった。農夫が付き添ってくれた。
母親と僕たち兄妹は、藁束を抱えて湧き水がにじみ出る谷筋をのぼり、藁束を積んで妹の入った「みかん箱」を載せて火をつけ、家族で焼いた。
小さな瓶に骨を入れた。

焼け跡だらけの東京に出て、母は四人の子供を育てながら働く。お骨になった妹に祈っていた。
「この子が死んでくれたから、みんながいきてこられた」と繰り返した。
妹が生きながらえたら、母親自身が死んでしまっただろう。
「死んでくれたから、他の兄妹が生きてこられたのよ」と言う。

今、僕は七十五歳になった。
「死んでくれたから、生きてこられたのだろうか」と妹に語りかけます。
妹が生きていれば六十七歳のおばあちゃんですね。

「みかん箱」に入れられて、燃やされてしまった妹。
「あの子が死んでくれたから、みんなが生きてこられたのよ」

僕は妹が死んでくれたから、生きてこられたのだと思う。
幼子たちが夢見ることができますように。誰もが笑顔になれますように、優しく揺れる木馬を作っています。

朝日新聞社主催 千の風に贈る手紙 受賞エッセー 浜離宮ホールで表彰されました全文です。

経歴

  • 東映東京撮影所に入社、フイルム編集者として技術習得。
    白黒映画→カラー映画→シネマスコープへと映画が変化、発展する過程を体験する。
  • 東映マーク=スクリーンオープニング。荒海の波の中から東映文字がトラックアップするマーク完成の制作スタッフ。
  • 東映社員ディレクターから、フリーの演出家として独立。
    原宿、神宮前1丁目に土屋拓三事務所 開設。有限会社「たくみ」スタート。
    TVCM企画、演出、制作。
  • ワーナー・パイオニアLPレコード(プロデューサー ロサンゼルス、ケンダンスタジオ録音)
  • FM東京音楽番組プロデュース。FM長野 ミュージックサロンなどレギュラー番組の台本を書き選曲する。
  • TV番組制作「テレビ東京」放映 レギュラー番組「素敵な女たち」プロデュース演出。
  • TVCM企画演出作品
    日本航空ーようそこ空へキャンペーン。日本航空PRー「飛び立つ前に」脚本、監督。トヨタ安全の願い。日産サニー。東レ スキーウェア。夕刊フジ(オレンジ色のニクイ奴)。第一生命。大正製薬。サッポロビール。アサヒビール。マルハエビフライ。東芝炊飯器、ナショナル炊飯器、三菱炊飯器、日立クッキングテーブル、東芝アイロンーACC賞受賞作品企画、演出。その他多数作品。信州小布施。桜井甘精堂のラジオ、テレビCM制作15年間携わった。
  • 雑誌社からの依頼。海外取材など。
    主婦の友社=アメリカ、シアトルの紹介の記事と写真掲載。
    婦人の友社=素敵な女たち、連載。
    ランナーズ=サンフランシスコのマラソン写真と記事掲載。

原宿、神宮前1丁目から、岩手山麓の廃屋に移り住み、昭和60年度生徒として、岩手県立盛岡高等職業訓練校 木工科に入学、2年間訓練を受けた後、木工家として独立した。